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清和のリノベーション
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マチノワ文庫と黒猫リーヴル
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年始にたてた今年の目標をいとも簡単に破ってしまった。月2回のブログ更新。2月は1度も更新できなかった。とほほ。ってか、今年2月ってありましたっけ。笑。前回書いたリブレの話が、意外にみなさんに読まれたようでエキサイトブログの建築のカテゴリのランキングで、1位か2位か3位くらいに輝いた。毎日更新したりためになることを書いたり、ポチっと煽りしているブロガーの皆さんに、ほんとに申し訳なさでいっぱいです。ごめりんこ。
朝、すみれちゃんを保育園に連れて行くことが多くなった。今日はおとうさんと行く!と懇願されるのだ。少し離れた交通公園に車を止めると、自分で行けるで付いてこんといて。と僕を突き放す。見事なツンデレ嬢。100mほどの道のりを5歩位あとをついて玄関までいくと、ほら おねえちゃんになったろ とばかりに、いつも玄関バイバイ。どういう訳か、昨日は久しぶりに別れ際に泣いたのでしばらく抱っこしてた。スパッツの柄がちいさなきつねの模様だったのに気がついた。お兄ちゃんが3歳の頃、ふたりで行った王子動物園のフラミンゴの話をしたとき、すみれちゃんもフラミンゴが見たいといったので、今度ふたりで行こうねと言った。それから着ていく服や持っていくバックの支度を始めている。女の子はレディやね。
先日募集した(仮)明倫舎ガレージマーケットスタッフは、とても素敵な女性に興味をもっていただき、すんごくスローなペースで進んでいる。進んでいるというか広がっている。30坪の木造倉庫も合わせて何か楽しいプロジェクトに成長させたいなぁ。乞うご期待。
事務所は相変わらずのバタつきようで3月中に新築住宅2軒のお引渡しがあり、長々とかかってしまったカフェも昨日プレオープンを迎えた。新しい住宅や店舗のプロジェクトのお話もいただいているので、それらに集中するため4月からは計画期へと入ります。クライアントの皆さんしばしお待ちをm(_ _)mひとりでちいさくやっている明倫舎建築事務所、8月くらいまでは新しいお仕事の受注が出来ません。9月から消費税8%最終駆け込み大募集です。笑。
写真は和草(大野市)の植物と、ろくろ舎(河和田)のTimber pot。
僕らの中だけの姉妹都市 おおの×河和田のコラボレーション。
植え替えてみたらすんごく似合っていて、素敵で、売れそうなので数量限定で販売いたします。←うそです。
定価13800円 → 7800円(税込) 今ならなんと真鍮の針金5メーター分ついてます。

昨日、友人の撮った1枚の写真で僕の小さい頃の思い出や、青春時代の記憶が頭の中によみがえり、とてもとても寂しくなった。
「Livre解体の写真」
Livre(リブレ)というのは大野市のどまん中にある商業施設(鉄筋コンクリート造3階建て)で、僕が生まれた頃からある大野で唯一のショッピングセンターだった。当時はスカイモールというハイカラな名前で、1番古い記憶として思い出すのは、多分僕が小学校低学年くらいだった頃の思い出。母に連れられてスカイモールに行くと、決まって入口近くの8番ラーメンに弟とふたりで置いていかれ、母の買い物が終わるまでの間、入口に1番近いカウンターの端っこでふたりで中華そばを食べていた。外食をするような習慣の無かった家柄だったので、多分、月に1回かふた月に1回連れてきてもらうスカイモールは当時の僕にとって最高の場所だった。今でこそ福井市は毎日仕事で通うくらい身近な町だが、当時は「ピア」や「ベル」に連れて行ってもらうのは年に1、2回のお祭りのようなもので、何週間も前から「今度の日曜日はピアに行くんだ!」と鼻息荒かった。たまにミニ動物園的なモノが来ている時なんかに合わせて行ったクラスメイトは次の日の朝、全生徒に向け動物の種類や数や状況などを熱く語り、下々達はそれを一字一句聞き逃すまいと耳ダンボにして聞き入った。当時ピアはまさに夢の国だった。。。おっと、脱線。。。
中学に入る頃にはもうリブレだったのかな。自転車という文明の利器を手に入れ、行動範囲の広がった僕達だったが、校区外の町に出るのはとても勇気がいる行動で、町には不良たちが沢山いて田舎者の僕たちを見るやいなやカツアゲされると思っていたので、遊びに行くときは山か川に行ってたな。
高校時代はまさにリブレと共にあったといっても過言ではなく、毎日毎日、学校帰りはブックスカルチャーからのリブレのカムカムだった。カムカムでは180円のうどんに何回七味唐辛子を振りかけて完食出来るかを仲間達と競い、記録が50を超えたくらいのところで、とうとうおんちゃんに怒られて、その競技人生を終えた。その頃、日本昔話の「お尻を出した子一等賞~」をもじった替え歌でまさにこの競技のテーマソングだった「鼻血を出した子一等賞~」がヒットし、食べながらにして鼻血が出た子はレジェンドと呼ばれた。
カムカムの奥にはグリコアというハンバーガーショップみたいなお店が大野で一番都会的な店で、いつか彼女とグリコアでチーズバーガーセットを食べることが僕たちの憧れだった。言うならグリコアは僕らの代官山だったのだ。
高校時代は日本中がビーバップで、大野市にももれなくヤンキーが存在した。僕はカツアゲされた経験は無いのだが、カツアゲされたことのある友人は存在し、現場はやはりリブレだった。自動販売機でジュースを買おうとしたらカツアゲにあいポケットにあった500円玉を取られたが、大変のどが渇いていることを伝えると、取った500円でジュースをおごってくれたエピソードや、バス待ちででカツアゲされ1000円札を強奪されたが、わざわざバス代の460円だけ「お釣りやー」と返してくれた話などはボクら世代では有名。その頃から「結の故郷」というキャッチコピーにぴったりの町だった。当時はすす竹でカツ丼か、シンプリィーでスペカツスパがお気に入りやったなー。。。おっと、脱線。。。
この一時代を築いたリブレも取り壊されて無くなってしまうんやなーと思ったら寂しくて、せめてここに思い出を残してやろうと筆をとったのでした。おわり。
写真は大野市内の銭湯(東湯)。
当時はまだまだたくさんあったけど、今はもう3、4軒に。
大切な文化。使って残そう。

今年も仕事が始まって、さて新年の挨拶からと思ったのが1月5日。早くも2週間が過ぎ去った。実は12月30日にアップしている記事もアップし忘れて新年を迎えてからのアップ。トホホ。「良いお年を」って。笑。今年はも少し頻度を上げなくては、目指せ月2!!←目標低ぅ
さて、今年の正月は昨年の過ちを繰り返してはならぬと12月中旬から段取りしていて、年越しはいつも実家で迎えていたのですが諸事情により大晦日からフリー。妻の「ゆっくり紅白を最初から最後までみたい!」という希望を叶えるため三方五湖の民宿を予約し「ふぐコース」行ってきました。初めてのふぐ。なつおくんふぐが気に入ってめちゃくちゃ食べてました。てっさ?鍋も唐揚げもヒレ酒もふぐしゃぶもありました。次から次へと料理が出てきてとても全部は食べられませんでした。そして時間がおしたせいで紅白トリプルエーまで見逃しました。笑。それから部屋で今すみれちゃんのマイブームのUNOをひたすらしました。1日に豪雪の中、大野に帰ってきて、それからひたすら雪かき三昧となりました。おわり。
昨年の後半から今年始まってすぐまでに今まであまり接点の無かった、各界のトップランナー的な方々とお話する機会が多くあって、みんな同じ世代なんだけどめちゃくちゃかっこいい背中を見せてくれて刺激をうけまくっている。今あわら市の現場に行く時の1時間10~20分位の車内で、企画立ち上げから成功するまでのシナリオを妄想するのがマイブームで、頭の中で約7店舗の色んなお店成功させてます。うちの会社の良いところは成功させたお店に投資した分だけ回収できたら(2~3年で)、あとはお店を譲って独立してもらい、また次のお店に着手出来るので大野にお店がいっぱいできます。目指せ10店舗!←なにコレ?
そしてそして、今年も仕事のお話をたくさん頂いて嬉しいです。昨年は話を頂いてもタイミングが合わなかったり、ラジバンダリで(古ぅーるぅー)ご一緒出来なかったプロジェクトが何件かありました。今年はもう少し計画的にキャパ超えしないようにたくさん仕事をしたいです!
そしてそしてそして、今年は本気で遊べる求人します!
(追伸) 7月着工分にまだ若干の余裕があります。笑。

12月16日に40歳になった。40・・・結構なパンチ力。
昨年のこの日に39歳は感謝(サンキュー)の年にと宣言し、それまでの「すみません」や「お世話になります」を「ありがとうございます」に変えた。いつだったか職人さんに「しんさん、コンビニのおばちゃんにもめっちゃ礼儀正しいっすね」と言われた時「あのおばちゃんが明日クライアントになっても失礼のないように接しているのさ」と答えた。半端ないプロ意識。笑
30代を振り返ると本当に10年で色々な事が変わった。29歳で結婚し家庭を築き始めたばかりの30歳。31と32歳は仕事と建築士の勉強だけをしてたな。3年経って長男が生まれ、その年に1級建築士をとった。次の年に1級大工技能士をとって、次の次の年に長女に恵まれた。その年に思い切って「えい!」っと「明倫舎アトリエ」(現・明倫舎建築事務所)をスタートさせ、39歳で法人化し「合同会社メイリンシャ」をつくった。これだけ書くとサクセスストーリーやけど、同じくらい苦労もしたな。試験なんてストレートで受かったことなんて一度もないし、子宝にもなかなか恵まれんかった。「えいっ!」っと独立したものの何も仕事のアテを持って出んかったから、最初は暇やったなー。笑。でも、今30代のスタートをきった若者にはこれだけは言いたい。「30代はさいこう!」10代も20代もよかったかもしれんけど、何十倍も何百倍も30代はさいこうだった。そして50歳の人に言ってもらいたい。「40になる若造よ、30代もよかったかもしれんが、40代はさいこうだぜ!」と。
そして、起承転結の「転」を迎えようとしているゴードー・カイシャー・メイリンシャー(ラップ調)は既存の建築事業に加え、新たな柱を模索中。若い世帯や移住希望者が少しでも大野市に定住してもらえるようなサポート事業。いつも一緒に脳内を耕作しているデザイナーとあれやこれやしている。そしてそして、この仕事で今までの仕事を疎かにできないので、建築好きでデザイン好きな若き才能を募集中!できれば~26.7歳程度で、建築経験があって、人好きで、大野市民もしくは大野市定住希望者で、小鳥好きなやわらかくて朗らかな感じの方募集です。 問い合わせ→ mail:meirinsya@live.jp
by meirinsya
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20150314

年始にたてた今年の目標をいとも簡単に破ってしまった。月2回のブログ更新。2月は1度も更新できなかった。とほほ。ってか、今年2月ってありましたっけ。笑。前回書いたリブレの話が、意外にみなさんに読まれたようでエキサイトブログの建築のカテゴリのランキングで、1位か2位か3位くらいに輝いた。毎日更新したりためになることを書いたり、ポチっと煽りしているブロガーの皆さんに、ほんとに申し訳なさでいっぱいです。ごめりんこ。
朝、すみれちゃんを保育園に連れて行くことが多くなった。今日はおとうさんと行く!と懇願されるのだ。少し離れた交通公園に車を止めると、自分で行けるで付いてこんといて。と僕を突き放す。見事なツンデレ嬢。100mほどの道のりを5歩位あとをついて玄関までいくと、ほら おねえちゃんになったろ とばかりに、いつも玄関バイバイ。どういう訳か、昨日は久しぶりに別れ際に泣いたのでしばらく抱っこしてた。スパッツの柄がちいさなきつねの模様だったのに気がついた。お兄ちゃんが3歳の頃、ふたりで行った王子動物園のフラミンゴの話をしたとき、すみれちゃんもフラミンゴが見たいといったので、今度ふたりで行こうねと言った。それから着ていく服や持っていくバックの支度を始めている。女の子はレディやね。
先日募集した(仮)明倫舎ガレージマーケットスタッフは、とても素敵な女性に興味をもっていただき、すんごくスローなペースで進んでいる。進んでいるというか広がっている。30坪の木造倉庫も合わせて何か楽しいプロジェクトに成長させたいなぁ。乞うご期待。
事務所は相変わらずのバタつきようで3月中に新築住宅2軒のお引渡しがあり、長々とかかってしまったカフェも昨日プレオープンを迎えた。新しい住宅や店舗のプロジェクトのお話もいただいているので、それらに集中するため4月からは計画期へと入ります。クライアントの皆さんしばしお待ちをm(_ _)mひとりでちいさくやっている明倫舎建築事務所、8月くらいまでは新しいお仕事の受注が出来ません。9月から消費税8%最終駆け込み大募集です。笑。
写真は和草(大野市)の植物と、ろくろ舎(河和田)のTimber pot。
僕らの中だけの姉妹都市 おおの×河和田のコラボレーション。
植え替えてみたらすんごく似合っていて、素敵で、売れそうなので数量限定で販売いたします。←うそです。
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by meirinsya
| 2015-03-14 16:15
| day
20150128

昨日、友人の撮った1枚の写真で僕の小さい頃の思い出や、青春時代の記憶が頭の中によみがえり、とてもとても寂しくなった。
「Livre解体の写真」
Livre(リブレ)というのは大野市のどまん中にある商業施設(鉄筋コンクリート造3階建て)で、僕が生まれた頃からある大野で唯一のショッピングセンターだった。当時はスカイモールというハイカラな名前で、1番古い記憶として思い出すのは、多分僕が小学校低学年くらいだった頃の思い出。母に連れられてスカイモールに行くと、決まって入口近くの8番ラーメンに弟とふたりで置いていかれ、母の買い物が終わるまでの間、入口に1番近いカウンターの端っこでふたりで中華そばを食べていた。外食をするような習慣の無かった家柄だったので、多分、月に1回かふた月に1回連れてきてもらうスカイモールは当時の僕にとって最高の場所だった。今でこそ福井市は毎日仕事で通うくらい身近な町だが、当時は「ピア」や「ベル」に連れて行ってもらうのは年に1、2回のお祭りのようなもので、何週間も前から「今度の日曜日はピアに行くんだ!」と鼻息荒かった。たまにミニ動物園的なモノが来ている時なんかに合わせて行ったクラスメイトは次の日の朝、全生徒に向け動物の種類や数や状況などを熱く語り、下々達はそれを一字一句聞き逃すまいと耳ダンボにして聞き入った。当時ピアはまさに夢の国だった。。。おっと、脱線。。。
中学に入る頃にはもうリブレだったのかな。自転車という文明の利器を手に入れ、行動範囲の広がった僕達だったが、校区外の町に出るのはとても勇気がいる行動で、町には不良たちが沢山いて田舎者の僕たちを見るやいなやカツアゲされると思っていたので、遊びに行くときは山か川に行ってたな。
高校時代はまさにリブレと共にあったといっても過言ではなく、毎日毎日、学校帰りはブックスカルチャーからのリブレのカムカムだった。カムカムでは180円のうどんに何回七味唐辛子を振りかけて完食出来るかを仲間達と競い、記録が50を超えたくらいのところで、とうとうおんちゃんに怒られて、その競技人生を終えた。その頃、日本昔話の「お尻を出した子一等賞~」をもじった替え歌でまさにこの競技のテーマソングだった「鼻血を出した子一等賞~」がヒットし、食べながらにして鼻血が出た子はレジェンドと呼ばれた。
カムカムの奥にはグリコアというハンバーガーショップみたいなお店が大野で一番都会的な店で、いつか彼女とグリコアでチーズバーガーセットを食べることが僕たちの憧れだった。言うならグリコアは僕らの代官山だったのだ。
高校時代は日本中がビーバップで、大野市にももれなくヤンキーが存在した。僕はカツアゲされた経験は無いのだが、カツアゲされたことのある友人は存在し、現場はやはりリブレだった。自動販売機でジュースを買おうとしたらカツアゲにあいポケットにあった500円玉を取られたが、大変のどが渇いていることを伝えると、取った500円でジュースをおごってくれたエピソードや、バス待ちででカツアゲされ1000円札を強奪されたが、わざわざバス代の460円だけ「お釣りやー」と返してくれた話などはボクら世代では有名。その頃から「結の故郷」というキャッチコピーにぴったりの町だった。当時はすす竹でカツ丼か、シンプリィーでスペカツスパがお気に入りやったなー。。。おっと、脱線。。。
この一時代を築いたリブレも取り壊されて無くなってしまうんやなーと思ったら寂しくて、せめてここに思い出を残してやろうと筆をとったのでした。おわり。
写真は大野市内の銭湯(東湯)。
当時はまだまだたくさんあったけど、今はもう3、4軒に。
大切な文化。使って残そう。
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| 2015-01-28 18:50
| day
20150121

今年も仕事が始まって、さて新年の挨拶からと思ったのが1月5日。早くも2週間が過ぎ去った。実は12月30日にアップしている記事もアップし忘れて新年を迎えてからのアップ。トホホ。「良いお年を」って。笑。今年はも少し頻度を上げなくては、目指せ月2!!←目標低ぅ
さて、今年の正月は昨年の過ちを繰り返してはならぬと12月中旬から段取りしていて、年越しはいつも実家で迎えていたのですが諸事情により大晦日からフリー。妻の「ゆっくり紅白を最初から最後までみたい!」という希望を叶えるため三方五湖の民宿を予約し「ふぐコース」行ってきました。初めてのふぐ。なつおくんふぐが気に入ってめちゃくちゃ食べてました。てっさ?鍋も唐揚げもヒレ酒もふぐしゃぶもありました。次から次へと料理が出てきてとても全部は食べられませんでした。そして時間がおしたせいで紅白トリプルエーまで見逃しました。笑。それから部屋で今すみれちゃんのマイブームのUNOをひたすらしました。1日に豪雪の中、大野に帰ってきて、それからひたすら雪かき三昧となりました。おわり。
昨年の後半から今年始まってすぐまでに今まであまり接点の無かった、各界のトップランナー的な方々とお話する機会が多くあって、みんな同じ世代なんだけどめちゃくちゃかっこいい背中を見せてくれて刺激をうけまくっている。今あわら市の現場に行く時の1時間10~20分位の車内で、企画立ち上げから成功するまでのシナリオを妄想するのがマイブームで、頭の中で約7店舗の色んなお店成功させてます。うちの会社の良いところは成功させたお店に投資した分だけ回収できたら(2~3年で)、あとはお店を譲って独立してもらい、また次のお店に着手出来るので大野にお店がいっぱいできます。目指せ10店舗!←なにコレ?
そしてそして、今年も仕事のお話をたくさん頂いて嬉しいです。昨年は話を頂いてもタイミングが合わなかったり、ラジバンダリで(古ぅーるぅー)ご一緒出来なかったプロジェクトが何件かありました。今年はもう少し計画的にキャパ超えしないようにたくさん仕事をしたいです!
そしてそしてそして、今年は本気で遊べる求人します!
(追伸) 7月着工分にまだ若干の余裕があります。笑。
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| 2015-01-21 16:02
| day
20141230
良いお年を

本日で今年の仕事納め。午前中に現場をまわってお昼から大掃除をして余裕で納めようと思ったが、この1年を物語るかのようにバタついた。笑。若杉の家の引渡しを終え、続けて春に木本の家の工事完成からの引渡しから始まった1年。春日のリノベーションは工事期間が長くなり大変お待たせしてしまったが、施主のこだわりがぎゅーっと詰まった空間になった。おばあちゃんのおうち、再生できて良かった。5月には善心鍼灸整骨院が福井市板垣にオープン!同級生がUターンして起業するお店を任せてもらった。嬉し。モモンガコーヒーはまだ寒い頃から解体が始まり、4月終わりにプレオープン、5月中頃にオープンを迎えた。色んなところからモモコー話を聞くとこが多く、少しでも力になれたかなと自己満している。旧黒原書店を仲間達とリノベしたのも楽しかった。予算なんて全くないから、天井に布を張って電球をさげただけのリノベ。それだけでずいぶん格好良くなったな。大野人カフェには2日で200人位の来客があった。そして落語会、黒原マーケットと繋がったのがさらに良かった。会社にはなんとロゴマークができ、10月には会社が本当の会社(合同会社)になった。後半は約1年間待っていただいたリフォーム工事と、美容室の新装工事がなんとか終わりを迎え、現在はカフェの新規オープンと、職人さんから紹介いただいた2つの新築住宅工事が同時進行している。一緒に仕事をしている職人さん業者さんから仕事をいただけるというのは本当にありがたいことで、期待を裏切ることなく良いものをつくらなければ。今年も多くの方々の支えで、なんとかお仕事させていただけました。ありがとうございます。僕が携わることで少しでも得があれば良いなと思っています。来年もよろしくおねがいいたします。 明倫舎建築事務所 川端慎哉

本日で今年の仕事納め。午前中に現場をまわってお昼から大掃除をして余裕で納めようと思ったが、この1年を物語るかのようにバタついた。笑。若杉の家の引渡しを終え、続けて春に木本の家の工事完成からの引渡しから始まった1年。春日のリノベーションは工事期間が長くなり大変お待たせしてしまったが、施主のこだわりがぎゅーっと詰まった空間になった。おばあちゃんのおうち、再生できて良かった。5月には善心鍼灸整骨院が福井市板垣にオープン!同級生がUターンして起業するお店を任せてもらった。嬉し。モモンガコーヒーはまだ寒い頃から解体が始まり、4月終わりにプレオープン、5月中頃にオープンを迎えた。色んなところからモモコー話を聞くとこが多く、少しでも力になれたかなと自己満している。旧黒原書店を仲間達とリノベしたのも楽しかった。予算なんて全くないから、天井に布を張って電球をさげただけのリノベ。それだけでずいぶん格好良くなったな。大野人カフェには2日で200人位の来客があった。そして落語会、黒原マーケットと繋がったのがさらに良かった。会社にはなんとロゴマークができ、10月には会社が本当の会社(合同会社)になった。後半は約1年間待っていただいたリフォーム工事と、美容室の新装工事がなんとか終わりを迎え、現在はカフェの新規オープンと、職人さんから紹介いただいた2つの新築住宅工事が同時進行している。一緒に仕事をしている職人さん業者さんから仕事をいただけるというのは本当にありがたいことで、期待を裏切ることなく良いものをつくらなければ。今年も多くの方々の支えで、なんとかお仕事させていただけました。ありがとうございます。僕が携わることで少しでも得があれば良いなと思っています。来年もよろしくおねがいいたします。 明倫舎建築事務所 川端慎哉
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by meirinsya
| 2014-12-30 23:03
| atelier
20141220

12月16日に40歳になった。40・・・結構なパンチ力。
昨年のこの日に39歳は感謝(サンキュー)の年にと宣言し、それまでの「すみません」や「お世話になります」を「ありがとうございます」に変えた。いつだったか職人さんに「しんさん、コンビニのおばちゃんにもめっちゃ礼儀正しいっすね」と言われた時「あのおばちゃんが明日クライアントになっても失礼のないように接しているのさ」と答えた。半端ないプロ意識。笑
30代を振り返ると本当に10年で色々な事が変わった。29歳で結婚し家庭を築き始めたばかりの30歳。31と32歳は仕事と建築士の勉強だけをしてたな。3年経って長男が生まれ、その年に1級建築士をとった。次の年に1級大工技能士をとって、次の次の年に長女に恵まれた。その年に思い切って「えい!」っと「明倫舎アトリエ」(現・明倫舎建築事務所)をスタートさせ、39歳で法人化し「合同会社メイリンシャ」をつくった。これだけ書くとサクセスストーリーやけど、同じくらい苦労もしたな。試験なんてストレートで受かったことなんて一度もないし、子宝にもなかなか恵まれんかった。「えいっ!」っと独立したものの何も仕事のアテを持って出んかったから、最初は暇やったなー。笑。でも、今30代のスタートをきった若者にはこれだけは言いたい。「30代はさいこう!」10代も20代もよかったかもしれんけど、何十倍も何百倍も30代はさいこうだった。そして50歳の人に言ってもらいたい。「40になる若造よ、30代もよかったかもしれんが、40代はさいこうだぜ!」と。
そして、起承転結の「転」を迎えようとしているゴードー・カイシャー・メイリンシャー(ラップ調)は既存の建築事業に加え、新たな柱を模索中。若い世帯や移住希望者が少しでも大野市に定住してもらえるようなサポート事業。いつも一緒に脳内を耕作しているデザイナーとあれやこれやしている。そしてそして、この仕事で今までの仕事を疎かにできないので、建築好きでデザイン好きな若き才能を募集中!できれば~26.7歳程度で、建築経験があって、人好きで、大野市民もしくは大野市定住希望者で、小鳥好きなやわらかくて朗らかな感じの方募集です。 問い合わせ→ mail:meirinsya@live.jp
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| 2014-12-20 07:07
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